脳の機能はおどろくほど優れているのにそれが心と結びつかない男、鈴木一郎。
この心を持たない鈴木一郎という男を探る旅には惹きつけられた。
どれだけ魅力的だったかというと終盤の病院での爆弾騒動が長く感じるくらい(笑)。
もちろんここも鈴木一郎を知るためには必要なのは承知。
病気の話が説明ではなく、鈴木一郎又は入陶大威を浮かび上がらせる、感情がないのに人として見えてくるところが惹きつけるのだろうな。
あることをきっかけに脳と身体が結びついたと話す鈴木一郎にちょっとがっかりすくるくらい。
でもそこにはやはり感情は介入していないようだけど。
担当の精神科医はラストの彼に罪悪感を見たと言う。
なかった感情が芽生えるのか?続編でその表情の意味が語られることに期待。
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初めて知ったが、著者は島尾敏雄さんのお孫さんとのこと。
まんがやエッセイをたくさん発表されているが自分周辺のことを書くのは始めてのことだったらしい。
1978年生まれなのに一時代前のような幼少期の生活、高校時代の厳格な一本線(外泊禁止)にご両親の意志を感じる。
ただ行動範囲を狭めるのではなく、何をしたらいいのかわからないでいるのに模索もしないでいる無気力さにお父様が手を上げたというのもわかる気がする。
手を上げられたはずの著者がそれを覚えていないというオチはつきますが。
放っておかれたのではなく人として慈しんで育てられたのだな、とたいへん羨ましい。
人としての感情は生身の人と関わることで芽生えていくのだな、と腹の底が温かくなるような爆弾を仕込まれたようななんともいえない気持ちになった。
島尾敏雄さんといえば「死の棘」しか読んだことはない。というよりもこの衝撃が強すぎて他が読めないとも言う。
まほさんの祖父母として登場するお二人があのトシオとミホなのだと思うと「死の棘」を再読したくなる。
サンドウィッチマンがM-1で優勝した時、彼らの名前は知っていたが姿を見るのは初めてだった。
一緒に住んでる「伊達」と「富澤」、と名前までわかるのに。
私が彼らを知ったのは本書でも触れられていたTBSラジオの「伊集院光 日曜日の秘密基地」でのリポート。
確かに声だけなのでどっちがどっちなのかは判別できてなかったな。
リポートも好評で伊集院さんとも仲良くなったらしく、彼らの故郷仙台の名物を食する旅に行った話も思い出したなあ。
そんな地味めのサンドウィッチマンが敗者復活から優勝を遂げたことは自分には全く無関係なのに妙に嬉しかった。
まわりにも「ね、彼ら知ってる?私は知ってるよ」と得意気だったかも(笑)。
しかし、本書でこの頃のことを読むと私が知らないだけでテレビでも好評だったのですね。
それにラジオ出演はネタ以外のことだったので富澤さんにはかなり苦痛だったのかなといらないうえに手遅れな心配をしてしまった。
同じ地点をそれぞれの視点からどう見ていたのかがわかってとても興味深い。
二人の間の見えない力があるからこその今までだしこれからなのだな、と改めて応援したい気持ちになった。
出だしは読んでるこっちもおっかなびっくりとはいえ少々ぎこちない文章がだんだんと読ませるものになっていくのも含めて楽しめました。
検察事務次官の古堀の元を15年前隣に住んでいた少女が訪ねてくる。大学生になった彼女、村里ちあきは自分の父親が殺された事件に関係するかも知れない記憶を母親に否定され、当時親しい関係にあり、事件の第一発見者でもあった古堀から記憶の間違いなどないと言ってもらいたいかのようだ。筆まめで日記を克明につけていた古堀は忘れられない記憶と日記から「何があったのか」ちあき以上にのめり込んでいく。
第一章では古堀が会いに行ったのは誰なのかは知らされない。
最終章は古堀が第一章の人物と今まさに会おうというところで終わる。
すると自然に最初のページに戻りもう一度第一章を読んでしまう。
ミステリではないので誰が犯人かとかトリックがどうだとかは関係ない。
そうしなければならないと信じてしまった人と人の結びつき、道を選んだことでのその後のつながり、そういったものが強く圧し掛かってくる。
もし戒める力がどこにも見つからなければ、いまあなたがやろうとしていることは、あやまちではない
正当化のために捏造したのか、本当に語って聞かされたことなのか、古堀同様とても興味を惹かれる言葉だ。
オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険
posted with amazlet at 08.12.03
鈴木 光太郎
新曜社
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タイトルのオオカミ少女とは、インドでオオカミに育てられていたのを牧師夫妻が引き取って育てたとされるアマラとカマラの話のこと。
これは他に取り上げられているどの事例よりも有名だろう。
しかし、証拠とされる写真や記録を丹念に見るとこれほどアヤシイことはないと見えてくる。
他の事例でもそうだが、著者の言うように具体的な数字が提出されていると信じやすいのが人間。
どれも最初から騙す気があったとは思えないが、このことも含めて心理学の神話なのだなと感じた。
6章の教育の力の大切さとして競走馬に教育をした話では、小学生のように言葉や計算を教えたら覚えたという。
これって「うちの子は計算ができますの」という犬の飼い主と変わりないですよね。
飼い主の期待の眼差しとか無意識のゴーサインを読み取ってるだけだと紹介されるたびに思ったもの。
人の指示を読み取れる馬や犬はお利口さんであるのは確かだろうが、言葉や計算を理解しているのとは意味が違うのですよね。
4章の双子研究の話も、離れていても一卵性双生児には目に見えない絆が!という神秘的なものとして、あるいは完全なるやらせとして見ていたが、一卵性双生児は「同じ環境だからこそ似なくなる」という言葉に憑き物が落ちたような感覚だ(笑)。
おかしいと思われる部分をひとつひとつ説明して結論へと導く様子は、謎解きミステリのようで痛快。
都市伝説的なものか?との野次馬根性から読み始めたが、予想を超える面白さで満足であります。