これまで独自に辺境を旅し、土地や民族に触れ合ってきた高野さんが今度は他人の記憶を捜すという新しい方法で世界をめぐる。
幻冬舎のWEB上で依頼を募り、その中から厳選された五つのメモリーをたどるという本。
自分主体ではないのに、その一喜一憂ぶりが凄まじい。
依頼を受けたからこその精神の昂りということなのだろうか。
言葉の綾ではなくて、本当に「お、ついてる!」と「ダメか~!」が繰り返されている。
そういう行き当たりばったりな気持ちの揺れを感じるだけでも十分面白い。
依頼の内容は、土産物屋のオヤジやら親切にしてくれた少年を捜すものから、冗談ではなく安否が心配される人捜しまで(一つ著者本人の依頼含む)硬軟あり。
硬だけでなく軟の方でも記憶にたどり着くまでの道のりにはその土地土地の緊張した状況が織り込まれ、紛争も民族対立も経験したことなくニュース等でしか知らない国に生まれ育ったものには現実という言葉が重く感じられる。
それでいて、一つだけ完遂できなかった依頼に対して「依頼人の見つけて欲しいという意志が希薄だった」と結論するのがお見事。
見つけて欲しいという強い意志が著者に憑依するからこその「メモリークエスト」のようだ。
私はもっと読みたい。
ラストの留学を終え旧ユーゴスラビアへ戻った直後に内紛が起こり連絡が取れなくなった青年の話は米澤穂信さんの「さよなら妖精」を思い出させる。
守屋はきっと高野さんに依頼したはず。
そしてマーヤの疑問を通じて彼女の故郷を推理する高野さんが見えるようだ。
まったくの余談ですが、高野さんの奥様って「アジワン」の片野ゆかさんなのですね。
知らずに両者の本を手に取ってる私もすごいな(笑)。
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ステキなイラストでおなじみの五月女ケイ子さんの大胆な解釈による古事記手引き本。
断片的にしか覚えていない八岐大蛇やイナバノシロウサギ、海幸彦山幸彦等の話が楽しい解釈でわかりやすい物語となっているように私には思えましたが。
同時に自分の理解力の低さを目の当たりにして少々落ち込む、という目にもあいました。
スサノオやオオクニヌシ等の血縁関係(?)に無頓着だったなあ、と。
別々の物語として読むから、前の登場人物の名前忘れちゃってたみたいであります。
昔から人の名前を覚えるの苦手だったからなあ、と無理矢理納得してみたり。
そういうわけで知っている話なのに新鮮な喜びを感じられたという不思議な本。
そして五月女さんの古事記解釈が楽しんだことと、海外ドラマ「プリズン・ブレイク」が大好きなことは無関係ではないような気がしました。
ファイナル・シーズン、早く見たいなあ。テレビ放送まで待つけど(笑)。
「プリズン・ブレイク ファイナル・シーズン DVDコレクターズBOX1 <初回生産限定版>」
[DVD]
レーベル:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日:2009-06-03
by ええもん屋.com
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資産家の三男坊古谷が始めた謎解き専門「カラット探偵事務所」の事件簿を助手の井上が読み物にまとめた形の短編集。
タイトルのカラットって宝石のカラットかと思っていたら「すっきり、さっぱり」を意味する「カラッと」であることにまずショック。
そしてショックはもう一つ最後にやってくる…
草むらの中に入って行った時の「丈の高い雑草が、俺の足首からふくらはぎにかけて~」のところは確かにひっかかりを覚えたけど服装は自由だから(笑)伏線というほどのことでもないのかな。
見落としているところに重要な伏線があったのかもしれない。
File 6の車を降りる時に靴を履き替えるのは最早解答も同じか。
恋愛のベクトルが二つあった、というだけで向きまで言ってないものねえ。
話自体に仕掛けがあるから依頼の解答として満足できない部分もまあいいかな?といった感じ。
何が引っ掛かるかと言えばFile 5の車中で温泉卵ができるのか?ということ。
適温になる可能性はあるとして、水分というか湿度が足りなくてただ腐ってしまうのではないかという気がしてならないのであります。
さて、微妙に関係性を修復して②に続くなんていうことはあるのだろうか?
何かが違ってしまうのでなくていいな、というのが正直な感想。
以下全く余談。
File1で依頼人がゴールデンウィークを控えているのに歯医者の予約を先延ばしにし、もうダメという状態になっても今度は歯医者がやってない、という話に喉元を掻き毟りたくなった。
私は連休を見越して医者に行ったのですよ!それなのに診立て違いで他の科にかかりたいのに…と地獄のような日々を思い出しちゃったじゃないですか!う~、いやなリンクだなあ(笑)。
「狂い」の構造という本で、「鬱っていうけど診察前にお買い物?と思うことも(大意)」というのを読んで、このタイトルでは気にならないわけがない。
毒舌を期待する野次馬根性だと見事に肩透かしを食らう。
まあ、落ち着いて考えれば精神科医がいくら名前を伏せたとしても患者の悪口を書くわけがないのだけれども。
悪口ではないが精神科医だって人間であるということを思い出させてくれるものだった。
診察にやってくる患者や家族はすがる想いでやってくるのだからそんな当たり前のことも失念してしまうのだろうな。
精神科にはかかったことのない自分でも「あ、そうか」と思うくらいだもの。
精神科外来での診察時間が正味5分程度というのには驚いた。
海外ドラマ等で見る精神科医の診察は開業医だからこそ、45分や50分といった時間がとれるのだと今さらながら頷いたり。
著者本人も含めて様々な精神科医を100の型に表現している(文章中にあえて書き正されるのは少し読みにくかったけど)。
分類ではなくて、こういう医師がいる、というものですが。
それこそ人間であることを思い出させる型ばかり。
最後に登場する、様々なことに答えを出せぬまま診察に忙殺されている、が最も響いてくるかな。
六章、七章で触れられている「何を以て治癒とするか」も改めて考えさせられてしまう。
99%の回復、ふつうなら万歳だけど周りから期待されていることによっては喜べない場合もありなのか…。
99%なのに諦めや妥協が必要かもしれない、もしくは周りが回復と受け止められない…心の問題と本当に向き合ったことがないだけにこれの意味することに過剰に恐怖を覚えてしまった。
引きこもり青年が一念発起して旅立ったインドでのおよそ一ヶ月にわたる珍道中。
旅行記というのはその土地で何を見て感じたとかそういうものなのだろうが、これは著者とインドの人々との闘いの記録と言う方がふさわしい気がする。
この闘いも裕福な旅行者を騙そうとしているというよりも「もらえる人からはもらう」という強い意志が感じられる。
なので著者も精一杯闘えたのではないだろうか。
ここに書いてあることが本当ならインドの人たちもこんなに怒る日本人旅行者なんて初めて見ただろうな。
とにかくエネルギーには溢れた本。
文体は楽しいんだけれど、私には少しばかりおまけがうるさい(笑)。
強調文字はwebで発表されたものならではといった感じ。
ノラ犬、ノラ牛がとってもキュートなので写真はどれもよかった。
というわけでインド旅行の参考にしようという方には全くおすすめできないが、鬱憤がたまっている人には著者の対決エネルギーを何かの糧にできるかもしれない、という不思議な本。
旅行記なのに。