なんともまあ、耳の痛くなるようなタイトルですこと。私は犬派ですが。
タイトルから、そういう人たちを患者としてとらえ精神科医としての話が聞けるのかな、と 想像した。
しかしご自身もペットロスの苦しみを経験し、あやしげな霊能者の元へ通う患者さんにやめるよう言えないとのことで全編歯切れが悪い。
読後、一番印象に残った言葉は「本末転倒」。
動物愛護ボランティア、犬や猫優先の生活、あちこちで繰り返される。
ペットでなく家族と表現するところからもう昔のペットとはその意味も生活も違っているというのはよくわかる。
室内で犬を飼うから冬でも暖房なし、という人を「どうかと思う」と見ていた自分も、まさを亡くした後の哀しみ、へこたれ、後悔、の日々を思うとそう違いなくみえる。
ペットを亡くした人は必ず知っていると思われる「虹の橋」の話。
号泣したものの、本当に待っているかどうか見に行く!との想いが芽生えたのも事実。
だって身体をこわして一緒に散歩に行けなかった時、途中まで迎えに行くとものすごい勢いで飛び込んできたもの、まさに満面の笑顔で。
あの経験がまたできるのなら見に行くの悪くない、と本当に思った。
少しずつ上向いてこられたのはもうひとつのブログのほうでやはり犬を亡くされた方からいただいた言葉のおかげ。
部屋が寒くてしかたなく、どう時間を使っていいのかわからないということに同意していただけたことに、それでいいんだ、と思えたことが上向きのきっかけだったかも。
ブログに犬の泣き言を書いたことを後悔したものの、書いてよかったと思えた瞬間だった。
というように、該当者には非常に居心地悪く、想い出に涙し、読んでるうちにどんどん心が本筋から離れていくような感傷的な本でした。私だけか?
度を越しているのでは?と思わないでもない動物愛護団体の話は是非とも切り離して読んでみたい(笑)。
ついでに、第四章で触れられている百閒先生の「ノラや」、犬と一緒に生活したことのなかった頃に読んだが今は読めない。記憶を辿るだけで泣けてくる。
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ある妊婦が強姦されたうえに殺される。夫である弁護士に恨みを持つものを念頭において捜査され、逮捕した犯人は強姦は認めたものの殺人は否定。死刑逃れの言い訳にしか思えなかったが真相は意外なことから紐解かれる。
何をしたら死刑で、何をしなかったら死刑ではないのか、そういう話だと思ったら違ったみたい。
死刑存続か廃止か、事件に関わる法曹関係者の気持ちの揺れを感じる話だった。
犯人が見つかるが全部は認めない→真犯人逮捕で見えた真相、となるのでミステリかな?とも思うけど。
真犯人を登場させることから著者は「冤罪かもしれないから死刑は廃止した方がよい」と伝えたいのかなと感じた。
冤罪で死刑(他の刑でも)などあってはならないが、代替案のないまま廃止を唱えるのは違うのでは?と考えるので。
なによりも違和感があったのは、法廷でそこまで正義を貫く人が何年にもわたって裏切り行為を続けていること。
そこには正直な人というよりも私憤がみえて仕方なかったな。
でもテーマは量刑なのだろうからこだわる私がいけないのかな。
大倉崇裕さんの「丑三つ時から夜明けまで」みたいな話だと思ってたんですよ。
捜査にあたる刑事に霊能力があるというのは同じだが、アチラの静岡県警捜査第5課は悪さをする霊を取り締まるのが目的、コチラの神奈川県警R特捜班(Rは霊-REI-の頭文字)は霊には悪意はなくむしろ事件現場の証人、本来いるべきところに優しく導いてあげるというものでかなり趣が違った。
R特捜班の霊に対する優しさに満ちた短編集でありました。
R特捜班と県警の連絡係、岩切大吾がそういった話を恐がるタイプ。
しかし彼らの霊に対する態度に触れて心が成長していく青春警察心霊ミステリといったところでしょうか。
「狂い」の構造 (扶桑社新書 19)
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春日 武彦/平山 夢明
扶桑社
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精神科医春日さんと作家平山さんが「狂い」について語った対談というか放談集。
もっと病気として突っ込んだ話を想像して読み始めたがお手軽にすらっと読めるとっつきの良さ。
「はじめに」で不謹慎、不真面目と感じる人がいるかもしれないと書かれていることからわかるようにかなりフランク、というか馴染みやすい話題で潜む狂気が伝わってくるというか。
不真面目というよりもふだんの自分たちの会話とかわらないところで心の異常を話しているのだと感じる。
「面倒臭い」や「雑」が「狂い」の始まりであるというのに驚き、目から鱗(ハム)が落ちる思いだ。
ヘルメットケース、臨界事故、と取り上げられているものがそうとしか思えないもの。
ということは面倒臭いから避けたことがたいして影響ないままに過ぎることを覚えてしまうと誰でもそうなる可能性があるのだな、と背筋が寒くなる想い。
これは春日さんのおっしゃるようにとりあえず掃除だけはきちんとしておかないと、と決心してみたり(笑)。
平山さんが「狂い」の側にいってしまわなかったのは「掃除しなさい」という春日さんのアドバイスのおかげというから笑い事ではない。
最後の章は平山さんが自分の趣味を語り尽くし、春日さんが相槌をうつという傾向が他の章よりも強く付録的な印象。
三章にある光市母子殺害事件についてのことは、思っていても口にするのをためらっていたことなのでほっとした感が強かった。
しかし、この本読んで一番驚いたのは平山夢明というのが本名だということでしょうか(笑)。
実はこれ、発売当時(2002年)にいただいたものだけれど読んだのは今。
なぜなら私は正しくない飼い主で、うちの犬は介護の必要な老犬ではない失礼な!と半ば面白くない気持ちでいたから。
でも雑誌連載はたまに読んでたんだよなあ。
うちの犬には認められない、冷静さを欠いた人でしかないのだな。
最近本棚を片付けていて奥の方から発見した。
視力を失った、足腰が立たなくなった、痴呆が始まった、そんな犬たちを手厚く介護する15組の家族。
手はかかるけれどそれは苦ではなく幸せな生活の一部、今ならそう思える。
うちの犬は本当に老犬にはならなかった。
推定10歳4ヶ月、およそ1ヵ月半という短い闘病生活で旅立ったから。
私が本をもらった時、もっと冷静に一緒に暮らす犬を見られて老犬になることを受け入れられていたのなら、ここに登場する犬たちとその家族のように幸せを共に噛み締めることができただろうか。
病気の看病と老いての介護は微妙に違うと思う。
看病は突然やってきて心の準備を許さない。
でもそれは間違いで、生き物と共に暮らし始めたらその時から老いだろうが病気だろうが視野に入れなければならないのだなと思う。
治らない病気とはいえ、してあげたいことはいっぱいあったな、と想い出してはまた苦しくなる。
闘病中、家族との確執のせいで辛い想いをさせてしまったかもしれないと後悔の日々。
ああ湿っぽい…。
生き物と暮らしている方、あるいはこれから考えられている方には是非目を通してほしい本。
家族と犬たちの眼差しが全てを語ってますから。