「番犬屋マル あなたのたいせつなもの おまもりします。」
[単行本(ソフトカバー)]
著者:きたやまようこ
出版:メディアファクトリー
発売日:2007-03-02
価格:¥ 1,050
by ええもん屋.com
[単行本(ソフトカバー)]
著者:きたやまようこ
出版:メディアファクトリー
発売日:2007-03-02
価格:¥ 1,050
by ええもん屋.com
得意なことがなにもないマルが、「いぬだからこそ できることが きっと あるはず」というお母さんの言葉で「あなたの たいせつなもの おまもりします」と番犬屋を始めるお話。
失敗を繰り返し、みんなの言葉に耳を傾けながら、少しずつ成長していく姿が健気。
聞かされるだけではぴんとこない教訓も、マルが自分から考えて導かれた結論なので「うんうん」と肌で感じてお兄ちゃんになっていくマルがかわいくてたまりません。
最後の「ほしを かかえた そらが しずかに マルを みまもって いました」というのはステキだ。
みんながみんなを、それぞれに合った距離と力で守り、守られしている、そんな優しい世界が感じられますねえ。
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「アジワン」の片野さんなので、犬のかわいさを前面に出したものかと想像したが、なんらかの理由で行き場をなくした犬や猫を保護し、新しい飼い主を探す活動をしている北里大学獣医学部のサークル「犬部」部員の奮闘の日々を綴ったものでした。
獣医学部の学生サークルなので、大学動物病院と提携してたり協力関係にあるのだと思ったが、まったく関係ないらしい。
学生たちの、助けを必要としている動物をなんとかしたい!という気持ちのみで集まり、広がってきたサークルだとか。
保護した動物に新しい飼い主を探すという活動は、最近読んだ「それでも人を愛する犬」と同じだが、そこには学生ならではの葛藤が伝わってきて、保護活動の新たな側面(というか問題点)が見えたように思う。
命あるものをかわいい、愛おしいと思う気持ちが当たり前の彼らは「犬部に預ければOK」と思っていたり、なんとか飼えるよう説得を試みると「じゃあ保健所だ」と脅迫まがいの言葉を吐く飼い主たち苛立ちを隠せない。
でも、その場で部員に面と向かって保健所を口に出すのはまだいい気がする。
例として取り上げられていた、子犬たちと母親を連れてきた飼い主は、部員の説得に飼えるよう、または他の飼い主を探すよう努力してみると約束した足で保健所に直行したと想像される。
絶句である。
命の責任を軽々しく考える人がこんなにも多いとは人として悲しい限りだ。
途中から、学生サークルとして活動するには無理があるのではないかという雰囲気も感じられた。
「できる範囲」を超えてしまうとかえって動物が振り回されて落ち着くどころではないような気がして。
動物を愛するが故、彼らにもその矛盾に辛いものを感じ、休部を選択する。
真剣になればなるほど、ただ集まって保護しているだけではどうにもならないことに気付いたからでしょう。
まだ歴史が浅く、名称を「北里しっぽの会」と変更しての再出発、これからも何度も立ち止まることがあるだろうけれど、命に対する考えさえ間違わなければ大丈夫だと感じた。
ある部員が、動物の命の大切さを説いている時に、じゃあお前は肉や魚は食べないのか?と返されて困惑したエピソードがある。
彼は自分でも答えを見つけるためなのか、肉抜きの日を週一くらいで実践するのだが、これは違うと思う。
食用とそうでないものへの愛情は違うと思う。
食用に育てるのだって愛情がなければ無理な話だろうが、一緒に生活することを選んだ命に向けるものとは異なって当然だと思う。
「世界屠畜紀行」で感じた温度差はこの考えが原因かもしれない。
私の独りよがりだろうか。
犬絡みで選んだ本。
いや~楽しかった!
アローの男気、ボンタの素直さ、DOOG8の面々の特技に脱帽。
もちろん長老の元警察犬ウオッチの導きも素晴らしい。
ミステリというよりも、犬たちの冒険活劇といった趣。
特技を駆使して力を合わせて行動する様子は、こっちもわくわくする。
年長者が年下を指導し、年下は年長者を敬い、その中でお互いに成長していく、そんな社会性をうらやましく感じる。
それもこれも、浮羅田町のシンボル、レノの人徳(犬徳?)によるところが大きそうだ。
引っ越してもボンタはきっとまっすぐに育つに違いない。
私も今度犬と暮らす機会があれば、浮羅田町に住みたい。
そして one more(笑)。
巻末、著者の飼い犬が解説を書いているという趣向も私は好き。
「貴方は一日にどれくらい犬のことを考えています?」と私は他人に質問してましたなんて、自分では書けませんけれど、犬バカとしては非常にナイスな情報(笑)。
参考資料として数冊本が挙げられてますが、「のら犬ローヴァー町を行く」、「心とろかすような」、と最近読んだ本があって、なんとなく愉快。
「水の中の犬」でその男気に涙した矢能を中心にした物語。
話は独立しているので「水の中の犬」を読んでいなくとも入っていけるが、読んでいると泣き所が確実に増える(笑)。
依頼人になるはずの男を殺された矢能が、事の真相を嗅ぎつけて選んだというか選ばせた道、犯人であるはずの数馬という青年が真相を知って選んだ道、ここが山場だったなあ。墓地で矢能と数馬は確かに心が重なっていたはずだもの。
両者が重なってからの作戦はちょっぴりできすぎの気がするけど。
テレビや人が何と言おうと「おまえが感じたことが正しい」と言い切る矢能にやっぱり惹かれる。
殺人マシーンのように報道された数馬だったが、その生い立ち、短く畳み掛けるような文体が数馬の寂しさを強調しているようにも感じられ、ここも私には好きなところだった。
「わたしが感じたことだけを信じよう」と思える理恵はきっと数馬の心に温かみを添えてくれる存在になったはず、と連想もできるし。
矢能を主人公にした話は続くのだろうか。
大切なものがわかってしまって、これからどうなっていくのか興味もあるけど見たくないような気もする(笑)。
「狂い」の構造という本で、「鬱っていうけど診察前にお買い物?と思うことも(大意)」というのを読んで、このタイトルでは気にならないわけがない。
毒舌を期待する野次馬根性だと見事に肩透かしを食らう。
まあ、落ち着いて考えれば精神科医がいくら名前を伏せたとしても患者の悪口を書くわけがないのだけれども。
悪口ではないが精神科医だって人間であるということを思い出させてくれるものだった。
診察にやってくる患者や家族はすがる想いでやってくるのだからそんな当たり前のことも失念してしまうのだろうな。
精神科にはかかったことのない自分でも「あ、そうか」と思うくらいだもの。
精神科外来での診察時間が正味5分程度というのには驚いた。
海外ドラマ等で見る精神科医の診察は開業医だからこそ、45分や50分といった時間がとれるのだと今さらながら頷いたり。
著者本人も含めて様々な精神科医を100の型に表現している(文章中にあえて書き正されるのは少し読みにくかったけど)。
分類ではなくて、こういう医師がいる、というものですが。
それこそ人間であることを思い出させる型ばかり。
最後に登場する、様々なことに答えを出せぬまま診察に忙殺されている、が最も響いてくるかな。
六章、七章で触れられている「何を以て治癒とするか」も改めて考えさせられてしまう。
99%の回復、ふつうなら万歳だけど周りから期待されていることによっては喜べない場合もありなのか…。
99%なのに諦めや妥協が必要かもしれない、もしくは周りが回復と受け止められない…心の問題と本当に向き合ったことがないだけにこれの意味することに過剰に恐怖を覚えてしまった。