「邪魔」、「最悪」を思わせる、無関係と思われる人々の微妙なリンクにざわざわさせられる群像劇。
市町村合併でできた「ゆめの」という市が舞台。
市役所の生活保護担当、東京の大学を夢見る女子高校生、スーパーの万引き保安員、詐欺商法に勤しむ元暴走族青年、親の地盤を引き継いだ二世市会議員、彼らを取り巻く、良くも悪くも中途半端な田舎町の設定が苦しい。
無理があるという意味ではなく、容易に想像できる世界であり、ふだん自分が見たくない、知りたくない、と目を逸らしていることが重いから。
「邪魔」や「最悪」は、もう少しドラマとして、ありそうな世界として読めたと記憶しているけれど、これは実際にあるだろうと思われるほど。
こんなに苦しくさせ、収まりの仕方を心配させておいての、あっけない多重事故というオチは一見すっきりのようで、その後を想像するとさらに一つ小説ができあがりそう…。
あんなに待ち望んでいたテーマの小説なのに、とにかく辛かった。
それだけ切羽詰った状況や背景の書き込みが強烈だったということか。
表紙のタイヤ跡にも意味があったとはね。
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無題
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私はこの「ゆめの」に近い地方在住なので、読んていてほんとにつらかったです。
女子高生が大人社会を見る目は、厳しいものがありました。
バブルも何も知らない、気がついた時からずっと「不景気」な平成生まれの若者たち。私たちが想像している以上に、堅実なのかもしれません。
私はこの「ゆめの」に近い地方在住なので、読んていてほんとにつらかったです。
女子高生が大人社会を見る目は、厳しいものがありました。
バブルも何も知らない、気がついた時からずっと「不景気」な平成生まれの若者たち。私たちが想像している以上に、堅実なのかもしれません。
Re:ほっそさん
うちも寒い地方ではなく、周辺市と合併こそしていませんがかなり似たようなところです。
女子高生、確かに一歩引いた目で現実を見ているような感じでしたね。
わかっているけれど抜け出せないのが大人たちということなのかもしれませんが。
これまでの奥田さんの群像劇は、もう少しフィクションとして読めたのですが、この本は問題があまりにも一般の目にもさらされていることだけにきつかったです。
自分が見たくないものには目を背けたいタイプだからでしょうか。
女子高生、確かに一歩引いた目で現実を見ているような感じでしたね。
わかっているけれど抜け出せないのが大人たちということなのかもしれませんが。
これまでの奥田さんの群像劇は、もう少しフィクションとして読めたのですが、この本は問題があまりにも一般の目にもさらされていることだけにきつかったです。
自分が見たくないものには目を背けたいタイプだからでしょうか。