殺された側の論理 -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」
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藤井 誠二
講談社
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最近裁判関係の本が気になる。
やはり裁判員制度が頭にチラつくからだろうか。
肯定派ではないので予習なんかじゃないですけどね。
裁判は誰のものなのか、これは以前に読んだ「裁判官が日本を滅ぼす」でも強く感じたこと。
裁判が開始される時はもう裁判官の頭の中には行方が出来上がっていて、その通りにしか進まないという印象を受けた。
この本は裁判の進行ではなく、被害者や遺族がどういったことを期待しているのか、ご本人達の生の声を伝えてくれるもの。
被害者側が死刑を望むのは決して「うちは殺されたんだからあなたも死になさい」だけの感情論ではない。
現行の最高刑を期待しているだけだ。
そこには死刑以外の量刑の少なさ(軽さ)があるのだと思う。
死刑廃止を求める人たちの言葉も書かれているが、死刑を廃止するならそれに見合った刑罰を設けなければならないのではないか。
人殺しが野蛮だから死刑をなくすでは何の説得力もない。
同時に犯行当時の責任能力の問題も感じていたこと。
精神病を抱えているから、麻薬を使用していたからとの理由で犯罪がなかったことになるのはおかしい。
遺族は命を落としたことをどうどらえたらいいのか?
犯した罪は罪。
しかし責任能力を追求できないのであれば、そう判断した国が責任をもって治療なり更生なりに力を入れるべき。
野放しはおかしい。
囲っておけばいいというものでもない。
時効の問題もそれと似てはいないだろうか。
加害者がわかっても時効なので裁けません、を遺族が受け止められるわけないと思う。
裁判員制度よりも法律を見直すことのほうが先立ったのではないだろうか、と考えさせられる。
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