「日の名残り」をずっと前に読んだきりのカズオ・イシグロ。
優秀な「介護人」キャシー・H。「提供者」を世話している。
自分が生まれ育った施設の仲間も介護人だったり提供者だったりしている。
キャシーが施設での想い出や介護人としての仕事を通じて仲間との想い出を淡々と語る。
本当に淡々としている。
フィクションであるが、「提供者」という言葉から想像がつくようにテーマは重い。
ちょっと前に読んだ「わたしのなかのあなた」と通じるものがある。
あちらは一人の人のために一人の人が、だけれどこちらはそうなるべくして生まれてきた大勢の子どもたち。
ある目的を持ってこの世に生を受けさせられた。
待っているのは提供者としての人生だけなのに、語られる施設での想い出は普通の寄宿学校そのもの。
それでも運命を背負って生きているというか、生かされている。
提供者であることに疑問を持たせないようにするのが施設の目的だったのか、と思いたくなる。
しかし事実を伝えられるだけでそのように教育されているとはいえない。
疑問を持たないよう事実を伝えるだけというのが洗脳だといえばそうなのかもしれない。
愛し合っている二人なら提供を猶予されることもある、という噂にすがるのが切ない。
彼らにとってそれは初めての希望であり、同時に幻想。
魂などなくてもかまわない、と思われて生まれてきたこと、
物でしかない人生、それを知っても淡々と生活していることの残酷さ。
一番恐ろしいのは
治るものと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?
という一文かも。
逆戻りはありえない進歩。
間違った方向でも進歩と呼んでいいのだろうか。
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景気が後押しした1980年代のちょっとどうかしていたと思われる時代。
クリスマスやバレンタインデーが定着しだしたのもこの頃らしい。
あまり関係なく過ごしてきたので意識したこともないが。
若者文化の変動を、世の中がいつの間にかそうなっていた、それがいつからなのか検証してくれる。
「若者」に商品価値を見出し、取り囲ってしまった大人の時代といえるのかも。
だいたいその頃の若者なので、ふんふんと頷いて読める。
しかし。
単位が今は「来る」ものだというのには驚く。
私の頃は確実に「取る」ものだった。
それとも早稲田だけで他の大学では今も「取る」ものでいいのだろうか。
何だか不思議な感じ。
「取る」だとがっついてて下品だとか、ニュアンスにも世代の差を感じ、少し寂しくなったりして。
三梨は盗聴を主体にした私立探偵。
ライバル楽器メーカーのスパイ疑惑を調べて欲しいとの依頼で調査中、殺人事件を「知って」しまう。
読む本は、ある程度の内容を知って「面白そう」等興味をもって選ぶ。
それは最低限のことに限られる。
なのでこれは実に説明しにくい。
どれをとっても仕掛けられたところに関わってくるようで。
仕掛けといっても読むほうの想像に任せられている、というのかな。
その想像を膨らませる方向が違うと騙された、となるのか。
想像していたのと真逆のところもあったが、それは問題でない。
殺人事件なんておまけ。
この本で真に展開されているのは眼に見えていないことの大切さ、かな。
多くを付け足さなくても成り立つということは、特異なんてそういうこと、なわけだ。
「ねにもつタイプ」のところでタイトルに魅かれたとちょっと触れた短編集。
いやー、本当にたちが悪い。
子どもにも読めるように書かれた本らしいが、結末はどれも円くおさまってはいない。
象が人間の学校に入る、少年の聞き役のテディベア、行動を起す小鬼…
どれもが童話風の設定なのに結末は実に現実的。
設定がほんわりしている分つきつけられるものにたちの悪さを感じる。
かといって教訓めいた感じはしない。
どちらかというと読んでいるこっちも「イヒヒ」となる。
私が一番たち悪いか。
「ライバル兄弟」という話など、最後の最後、心配するのはそこかい!とツッコミ。
でも一拍おくと「ま、そうだな」という気がしてくる。
全編そんな感じ。
「気になる部分」ですでに大感動していたので落ち着いて楽しむことができた。
先にこっちを読んでいたらやっぱり驚くだろうな。
最も共感を覚えたのは「奥の小部屋」。
「郵便局にて」にも近いものがあるかな。
ただ私は時々口に出しちゃってるので危険が伴っている。
これからは脳内のみで闘わせるよう気をつけます(笑)
エッセイなのだけれど、どこかショートショートを読んでいるような気がしてくる。
「夢十夜」な雰囲気も(笑)
あとがきで、タイトルとは違って物事を根にもつタイプではない(たぶん)と書かれている。
しかし、18年前にバリ島で釣銭をごまかされたことへのわだかまりをいまだに捨てきれていないというのは相当…なのではないか?
ここで驚いたリンクが発生!
先日、図書館でタイトルに魅かれて借りた(苦笑)バリー・ユアグローの「たちの悪い話」。
不勉強で存じ上げない作家。
なのに「波3月号」で評を書いているじゃないですか、岸本さんが!
岸本さんのエッセイを読んだ今となっては、図書館で妖精が私の脳に何かしたとしか考えられない。






