大学の研究室に勤務する畑寛子と同居人ギンちゃん、サラリーマン北西匠と同居人ムーちゃん。ギンちゃんとムーちゃんが名探偵、ということ以外にもこの二組にはある特殊な関係が存在する。それが温かい手、というわけです。
この二組のまわりに起こった事件を解決していく連作短編集。
石持さんは特殊な枠を作ってその中で話を組み立ててくれるのですが「BG、あるいは死せるカイニス」はその特殊な設定を受け入れ難かった。
しかしこの本にはほんわり感を感じたのでトライ。
ギンちゃんとムーちゃんは未知の生命体、人間のエネルギーを吸い取って生きている。
その食事の相手ともいえるパートナーが寛子と匠。
エネルギーを吸い取るのが誰でもいいわけではなく「魂のきれいな人」が「おいしい」く、その点この二人は合格しているのだそうだ。
おいしいご飯を食べてリラックス状態のエネルギーを吸い取るのが一番のごちそうらしい。
ストレスで過剰に発生した負のエネルギーも吸い取って落ち着かせてくれるがこれはおいしくないようだ。
この夢のような設定にうっとりする。自分にもギンちゃんやムーちゃんがいてくれたらなあ、と。
でも魂がきれいでないと寄ってきてはくれないわけで…(苦笑)。
未知の生命体ならではの視点で事件を解決に導く手腕も楽しめるけれど、それ以外のものも感じさせる。
タイトルにもなっている最終話、前の話でもところどころに二組それぞれの関係の終わりに思いを巡らす部分はあったが、最後の切なさときたら。
寛子も匠も薄々悟っていたようで湿っぽくはない。じんわりと温かな手の大切さが伝わってくる。
私は津田恒美投手が大好きだった。
最終話の落合さんの右手が求めていたことと、意識不明の津田恒美の右手が重なってどうしようもなかった。
最後のストライク―津田恒美と生きた2年3カ月 (幻冬舎文庫)
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津田 晃代
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死後の解剖率は2%、残りの98%は体の表面を見るだけで死亡診断書が書かれているという。
学生時代に亡くなった祖父の診断書は「心不全」だった。
それこそ入院して診てもらっていたのだからと強い疑問は持たなかった。
つまり、それまで入院なり在宅なりで治療を受けていたのなら死因不明とは言わないのでは?と思っていた。
しかし、癌患者などは短期間で急激に病状が変化し診察対象箇所とは別の部分に病巣があらわれることもあるという。
祖父も末期の癌だったとはいえ他の病巣が原因だったのかもしれない。
積極的な治療をしないホスピス等で死亡した場合はなおさらのようだ。
さらにそこでは緩和医療に放置が隠れているかもしれないという。
死亡時医学検索はこういった病気を探求して今後に役立てる他に、見た目ではわからない犯罪を見つけることもできるという。ホスピスの放置もこっちに近いかも。
虐待で死亡した子どもの解剖を親が承諾するわけないが、著者が推進している死亡時の画像診断が必ず行われるものであるのなら誰にも精神的にストレスを与えずに真実を知ることができるというわけ。
身体を切り刻む解剖には抵抗があっても、画像診断で写真を見ながら「ここをもっと調べたい」と告げれば遺族も承諾しやすいというもの。
解剖する側も目的箇所がわかっているので時間も労力も軽減されるらしい。
これを聞けば、どうして積極的に取り入れられないのかが不思議なくらい。
医学の進歩にも犯罪の抑制にも貢献できるのに。
それは死者にお金を使いたくないというおえらいさん方の思惑一つ、なのかな。
解剖が三つに分かれていてそれぞれ担当部署が違うとか、現場では必要に思われる監察医制度が五大都市にしかないとか、他にもいろいろ不具合なお話が読めます。
以前からわからなかった「検視」と「検死」の違いがわかったことも収穫。
「検視」は警察官が行うこと、「検死(法律上では検案)」は医師が行うものだそう。
事件性があるかないかで変わってくるとか。
白鳥圭輔氏(阿部寛)の語ってくれる部分は非常にわかりやすいが、著者の言葉で書かれている部分はどこまで理解できているか不明。白鳥氏の部分もかなり怪しいかも(笑)。
なにせ、BLUE BACKSなんて卒業してから読んでないと思う。
-「癒しの島」とされる幻想を解体し、真の沖縄の姿を描きだす-というような表紙見返しの言葉につられた。
沖縄には行ったことはないが、漠然とではあるがそこを礼賛し、特別な場所であるかのように崇める言葉には嫌悪するタイプなのでどう描かれているのか興味もあった。
過剰に持ち上げるのを耳にすると「それはあなたがリゾート気分だからでしょ?」との想いが強い。
それは沖縄に対してだけのことではない。「田舎っていいよね、落ち着く」という言葉と同じ。
それはその人が旅行者であって生活者ではないから。「じゃああんた、そこで生活してみんさい」と言いたい。
観光客としてもてなされることと自分で生活することとの違いのわからない無神経な言葉だと感じる。
で、読んでみると…。
残ったのもは特にない。漠然と思っていたことが著者の言葉で「こういうことかな?」と説明付けられただけのような気がする。もちろん知らない部分もたくさんあるわけだけど。
「悲しき人買い」が嫌だったから受け付けたくないのかも。
彼女たちがあえて売春を選んでいるわけではない、そうならざるを得ない状況がわからないでもない。それを何とかしない日本はどうかしているとも思う。
それこそ、著者の若い頃の友人が虐待にあっている娘を助け出したつもりでありながら「鬱陶しいから、捨ててやった」と言ってることと重なる。
読んだ本のことを残しておこうと思うから書いているけれど、だめだ。
「買う」ことはどうしても受け入れられない。
「これで生活しているのだから」が女性を買うことを正当化する言葉に聞こえる。
そうならざるをえない状況がわからないでもない、なんて書いたけれど著者が忌み嫌うであろう「買う人がいるからだよ」という偽善的な言葉しか出てこない。
自分を頭がいいとは思わないが、小賢しい阿呆なのだろうか。
この本で感じなければいけなかったことを誰かに教えて欲しいくらいに沈んでます。
池上さんの同世代が書いた沖縄エッセイは痛快だったのになあ。
「へんなほうりつ」「2階でブタは飼うな!」に続いて、世界の理解不能な法律紹介本。
違った著者のものを読んでみようと思ったのに、盛田さんは「のり・たまみ」の「のり」の方だというオチが…(笑)。
「2階~」の自虐的なエッセイ部分は途中で勘弁して欲しくなったので読み始めは不安だったが、「へんな~」寄りで読みやすかった。
同じ方が書いているので取り上げている法律もかぶっているものがあるわけだが驚かされた部分も。
それは中国の執行猶予付き死刑判決だ。
執行猶予中に何も犯罪を犯さなければ無期懲役減刑されるのだそうだ。
「再教育目的が強い刑」とあるが死をチラつかせることが再教育なのか疑問。
どれだけの死刑囚がこの恩恵に授かっているのかも知りたかった。
「仮装して犯罪を犯してはならない」というデラウェア州法。
これは防弾チョッキを着たり、覆面をしたりということが犯罪をする気満々と受け取れるので重罪になると聞いたことがあるのでわかる。
わからないのはこれにつけられた解説。
日本のレッサーパンダ帽子を被った男による通り魔殺人を例にあげている。
著者は
わざと人目につく奇妙な格好での無差別殺人であったことから、世間に大きな衝撃を与えた事件でした
と締めている。
「自閉症裁判」を読んでいると「わざと人目につく~」には違和感を覚える。考え方の違いだろうか。
不破の所属する警視庁外事2課に中国に国家機密を流している国会議員がいるという情報が入る。ガセネタと思われていたのに警察庁から女性理事官凸井がやってきて捜査を開始。純粋な捜査なのか、上の思惑が働いているのか、不破は事件の本質を見抜けるのか。
たいへん面白かった「鼻」の曽根さんの乱歩賞受賞作。
警察にスパイがいる、いやスパイのふりをしている二重スパイだ、いや三重だ…二転三転する「真相の告白」にどれを信じてよいのか最後までわからない。
あのエンディングももし話がこの後も続くのなら信用ならんところだ。
真相にはついていけないが、捜査官同士の腹の探り合いや凸井の思惑に振り回されているうちに読み終えてしまうという不思議な小説。
不破と対立しているというか方針が相容れない五味も適役っぽいのにその慕われ方がわかる気がするし、組織からのはずれもの若林の流され方なんかドラマがあったと思うけどあまり評判がよろしくないとか。